2015年2月27日

BookJapan書評「日本人はなぜ「黒ブチ丸メガネ」なのか」

ヘンな日本人のルーツをたどれば太平洋戦争に行き着く
『日本人はなぜ「黒ブチ丸メガネ」なのか』
友利昴著
メディアファクトリー

 ハリウッド映画をはじめとする欧米映画に登場する日本人はとにかくヘン。出っ歯に「黒ブチ丸メガネ」、やたらと写真を撮りまくる。特に、「黒ブチ丸メガネ」はどうして日本人のトレードマークになったのか?
 そんな疑問を抱いた著者は、古い映画を次々とたどり、なんと、映画が誕生する以前の時代にまでさかのぼって、その理由を発見する。黒船到来の時代、日本に来た欧米人の描いた絵に登場する日本人は、誰も彼もがメガネをかけているのだ。それも、どう見てもメガネが必要とは思えない赤ん坊から馬までメガネをかけている。これはいったいどうしたことか?
 どうやら、明治維新の頃、日本ではメガネが一大ブームだったらしい。欧米ではメガネ・ブームはとっくにすたれていたが、文明開化の日本ではメガネが大流行、視力に問題がない人まで、自分は教養があると見せかけるためにメガネをかけていたのだそうだ。そんな日本人を、当時の欧米人はどう見ていたのだろうか。著者は言う。
(引用)
「日本人はカッコいいと思って何をやっているんだ? いまさらメガネメガネっていう時代でもあるまい……」
 おそらく、そんな冷ややかな目で見ていたのではないだろうか。先行する地域より遅れて近代化を迎えた社会が味わう、苦い宿命である。近代化を標榜していた当時の日本人が、欧米人にとってはすでに時代遅れとなっていた「メガネ礼賛」の風潮を近代化の証しととらえていたことは、あるいは滑稽に映っただろう。そんなギャップを皮肉ったのが、ビゴーやワーグマンといった風刺画家であり、そこに描かれた日本人こそが、「黒ブチ丸メガネの日本人」の源流なのである。
(引用終わり)
 というわけで、「黒ブチ丸メガネ」の謎は解けたか、と思いきや、またひとつ、疑問が浮かんでくる。風刺画家の描いた日本人のメガネは、決して「黒ブチ丸メガネ」ではないのである。それはただの丸いメガネとしか描かれていない。じゃあ、いったい、「黒ブチ丸メガネ」のルーツはどこに? というところで、明治維新にまで時代を遡った著者は、ふたたび時代を下っていく。そして、ついに発見したのは、太平洋戦争の時代の大日本帝国の政治家たちの「黒ブチ丸メガネ」!
(引用)
 実は政治家に限らず、この時期の日本では、全国的に黒ブチ丸メガネをかけている人が少なくなかった。いわゆる「黒ブチ丸メガネ」は、当時ロイド眼鏡と呼ばれていて、フレームの素材がセルロイドである点が特徴であった。この頃、日本は戦時下の物資不足により、メガネフレームに金属類を用いるのが困難になっていた。そのため、セルロイド製のロイド眼鏡が広く普及することとなったのである。
 そして、戦況を報じるニュースによってもたらされた「日本人は黒ブチ丸メガネである」というイメージは、不幸なことに対敵国感情と結びつき、また戦時中ならではの特殊な大衆文化の中で、繰り返し強調されることとなる。どこの国のいつの戦争のときもそうだが、戦時中に創造される大衆文化は、敵国を貶め、また自国の正当性を確認するために、多かれ少なかれプロパガンダ的な性質を持つ。こうして戦時中の欧米の大衆文化には、悪意が上塗りされた黒ブチ丸メガネの日本人が大量に発生したのである。
(引用終わり)
 このあと、著者は、戦時中のアメリカで作られた映画やアニメやマンガに登場する敵としての日本人の描写を紹介していく。黒ブチ丸メガネをかけたタコ怪獣とか、ポパイやドナルドダックやバッグス・バニーまで「邪悪な黒ブチ丸メガネのバーゲンセールである。黒ブチ丸メガネが鼻にかけてあれば、ヤカンだって日本人だと思われてしまうほどの勢いだ」という具合で、今となっては笑うしかない。さすがにこれらの作品群は、あまりの反日描写のために戦後は封印されているのだとか。
 戦時中の対敵国感情が悪い影響を与えた例として、著者は武士道をあげる。欧米では当初、武士道は「めちゃめちゃ賛美されていた」。というのも、1900年に新渡戸稲造がアメリカで出版した『武士道』が大ウケだったからだが、「その後「武士道」はめちゃめちゃ非難された」。理由は、日本が強くなり、戦争を始めたからで、太平洋戦争の時代には、欧米では武士道は狂信的で野蛮なものとされてしまった――という具合に、著者はヘンな日本人のルーツとして、太平洋戦争時代の対敵国感情が大きな役割を果たしていると考えている。
 そういう論旨であるから、最後の章(第5章)が「パール・ハーバーと原爆」なのは当然の帰結だろう。
 第4章までは黒ブチ丸メガネと武士道だけでなく、外国人の好きな日本の都会のきらめくネオンサインとか、芸者と遊女を混同したゲイシャ、全然忍びの者じゃない派手で暴力的なニンジャなど、欧米人の好きなヘンな日本を抱腹絶倒のユーモアで紹介しているが、これらは戦争中の対敵国感情とはもちろん無関係。ニンジャに至っては日本企業が悪ノリしたことも指摘されている。第4章では、日本のアニメがアメリカでどういう扱いを受けているかが紹介されている。アメリカの子供を対象とした倫理規定では、『名探偵コナン』は毎回殺人事件が起きるからダメ、『セーラームーン』はエッチだからダメ、なのだそうだ。著者の筆が一番冴えているのはたぶん、この章である。
 しかし、第5章になると、抱腹絶倒のユーモラスな文章は影をひそめ、真珠湾攻撃と原爆投下についての日米の感じ方、考え方の違いがまじめに論じられる。ここでも多数の映画や物語が取り上げられている。アメリカ人の多くが、原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったと考えていることはよく知られているし、それについて日本人はまったく納得できないという著者の意見には多くの人が共感するだろう。ただ、真珠湾攻撃に関していえば、これが宣戦布告をせずに(正確には布告が遅れて)行われた奇襲だということを著者が一度も書いていないのは気になった。9・11と比較されるのも、宣戦布告をしないテロ行為と認識されているからではないかと思うのだが。ただ、この点を除けば、全体としてはとても面白い読み物だ。また、欧米から見たヘンな日本人のイメージには、20世紀なかばの戦争の影響があること、戦争が日本人のイメージを大きく損なったということを指摘している点は考えさせられるものがある。ヘンな日本人は戦争だけが原因ではないけれど、日本と欧米の関係を歴史的に見ることはやはり必要なのだ。
(新藤純子)